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美少女と美学について

色々考えてきましたが…ネットを見ているとやはり絵を描くことで自分と同じように苦しんでいる人がいる。

しかも、この問題について核心的な議論は行われないことが多い。興味深いことに、ほとんどの人は直感的にこの議論が絵を描くことに直接関係がないことを知っている。

そして、建設的な議論が行われないままに話は終わってしまう。

私は仮に荒唐無稽な議論であっても、あえてこれを掘り下げ、この議論に簡単な論理的回答を与えたい。


①美少女がなぜデフォルメされるのかについて

まず、よく言われることとして、イラストの美少女の造形がなぜ現実の対象と乖離するのか。

これに関する回答はオスカーワイルドの"虚言の衰退"における「自然は芸術を模倣する」という言葉に象徴される。

つまり、美少女を描く人は基本的に現実の先を描かなければならない。現実の対象の”あるがまま”を描くのではなく、"あるべき姿”を描くのである。

一言で言えば、美少女絵は耽美でなければならないと私は思う。


②天才について

カントは「判断力批判」の中で天才について以下のように述べている。

⑴天才はあるものに関して一定の規則が与えられ得ないようなものを産出する才能である。

⑵天才の所産は他の人たちに対して判定の基準ないし規則の用をなすものでなければならない。

⑶天才は作品を産出する次第を学的に挙示することができない。むしろ天才自身が”自然"として規則を与えるのである。

私は現代の美少女絵のデフォルメ方法を考案した人が誰なのかわからないが、これを作り出した人、もしくはぴったりこれに当てはまる絵を描く人は少なくとも美少女絵を描くことに関して、上述の”天才”に当てはまると考えられる。

その他の人は、この”天才”の作った規則から自然科学を学ぶときのように学んでいるだけなのである。

上述に加え、カントは"美とは判断力における快である"と述べている。

良い絵を描く条件とは、まさに天才であるか、もしくは天才の規則を学び、そして”快”のアナロジーを得ることに他ならないだろう。


③絵を描くためには

ここで注意しなければいけないことは、頑なに”自然の規則”を学ばせたがる人がいるが、我々が学ぶべきは”天才の規則”であって、”自然の規則"ではないことである。


© umeshiva 2013